『春はもうすぐ 大宰府・二日市温泉』 るり色の砂時計
今回は、「るり色の砂時計」(2005/2/27)で放送された大宰府・二日市の旅を紹介します。
湯湯ブログで、旅気分を味わってください。
大宰府天満宮
福岡県太宰府市宰府4-7-1
太宰府天満宮は、菅原道真公の御墓所の上に社殿を造営して、その神霊を御奉祀する神社で、「学問の神」「至誠の神」として世の崇敬を集めています。
延喜3年(903)2月25日、菅原道真公は南館(榎寺)において生涯を終えました。
その後、遺骸を牛車に乗せて進んだところ、間もなくその牛が伏して動かなくなりました。
これは、菅公の御心によるものであろうと、その聖地に御遺骸を葬りました。
京より追従した、門弟味酒安行(うまさけのやすゆき)は延喜5年ここに祠廟(しびょう)を創建、次いで左大臣藤原仲平は勅を奉じて大宰府に下って造営を進め、延喜19年に御社殿を建立し現在に至っています。
境内に入ると右側の老樟下に『東風吹かばにおいおこせよ梅の花 あるじなしとて春なわすれそ』の歌碑が早春の梅花匂う参道に向かって建立されています。
梅花を愛された菅原道真公は、大宰府へ西下の時、京の紅梅殿の梅にこの歌を詠まれると、梅花は、主人を慕って配所大宰府の菅公のもとに飛んできました。それが、「飛梅伝説」です。
御本殿の右前の御神木「飛梅」は、千有余年たった今日も毎年、神苑で最初の花を咲かせ「飛梅さま」と愛されています。
岩屋城址
福岡県太宰府市太宰府
大宰府天満宮のすぐ背後にある四王寺山の南に位置し、多数の曲輪や竪堀、堀切、畝状空堀群などが残ります。
島津軍35,000に対し、大友宗麟の武将高橋紹運以下763人が、この岩屋城に迎え撃ち、激闘を重ねて2週間持ち堪えた末に、全員玉砕して散り果てました。
「嗚呼壮烈 岩屋城址」 と書かれた石碑と高橋紹運のお墓が岩屋城を偲ぶように残っています。
二日市温泉 大丸別荘
福岡県筑紫野市湯町1-20-1
二日市温泉はJR鹿児島線二日市駅から歩いて5分。1300年以上の歴史を持つ、風情あふれる温泉地です。
万葉集にも大伴旅人が次田(すぎた)の湯につかっていると、しきりに鶴が鳴いている「鶴も自分と同じように妻が恋しいのだろうか」という意味で、妻を亡くしたときに詠んだという「湯の原に鳴く芦田鶴はわがごとく妹に恋ふれや時わかず鳴く」という歌を残しています。
当時は次田(すきた)の湯とか,武蔵温泉と呼ばれていたようです。
「大丸別荘」は、約3000坪の広さの大回遊式庭園や、岩風呂風の湯舟もそなえる老舗旅館です。
杉や檜を使った大浴場「次田(すいた)の湯」と季節の素材にこだわった食事が評判です。