『宮城〜峩々〜秋保〜松島』 いい旅・夢気分

今回は、「いい旅・夢気分」(2005/1/12)で放送された宮城の旅を紹介します。
湯湯ブログで、旅気分を味わってください。

遠刈田(とおがった)温泉 センターの湯

宮城県刈田郡蔵王町遠刈田温泉
遠刈田温泉蔵王山の東麓にある古くからの温泉地です。
遠刈田温泉街の西に温泉神社があり、その前に蔵王町営福祉センターがあり、「センターの湯」はその1階にある、立ち寄りの湯です。
お湯の色は薄い褐色、掛け流しのお湯が勢いよく流し込まれています。
普通の浴槽と熱い浴槽と2つに分かれていますが、普通でも熱い、熱い方はもう「熱湯風呂」って感じです。
温泉としてはやや濃い目のお湯です。一切循環等はしていません。
浴室は広いのですが、ひなびた感じで「非観光地の温泉」を味わいたい方にはおすすめします。

賛久庵(さんくあん)

宮城県刈田郡蔵王町遠刈田温泉北山21-13
秋田県にあった築140年以上の曲がり家を移築して店舗にした和食処です。
大きな梁が天井を巡り、昔の囲炉裏端の雰囲気が感じられます。
人気は豆腐料理のオンパレードの「豆腐づくしセット」、3つのオススメ品がまるごと頂ける「賛久庵膳」です。調理法の多彩さに驚き、おいしさも再認識できます。

峩々(がが)温泉

宮城県柴田郡川崎町大字前川字峩々1
峩々(がが)温泉は蔵王の東麓、標高800mにある山の中の温泉です。
蔵王エコーラインから、途中で北へ向かう道を下ると、渓流沿いに一軒宿の温泉が見えてきます。
嘉永年間(1847〜1853)羽前国 宝沢村(現在の山形市)の猟師六治が狩りの最中にこの湯を発見し、手負いの鹿が濁川沿いに湯あみをしていたところから「鹿の湯」と名付けられたと言われています。
明治2年(1869)群馬県人 竹内時保は勝海舟木戸孝允らの知遇を受け、北海道開拓使 黒田清隆男爵に従い、東北地方の巡視を行っていた時、蔵王 刈田岳山下の硫黄採掘に際し、荒廃した「鹿の湯」を発見し、霊泉である事を直感的に察し、「峩々温泉」と名前を改め湯を開きました。
開湯後は終始一貫して療養湯治温泉を守り続けています。
湯の平、四万と共に日本三大胃腸病の名湯として知られています。

青葉城

宮城県仙台市青葉区天守青葉城
伊達62万石の居城,仙台城青葉城)城跡です。
東と南を断崖が固める天然の要害に築かれた城は,将軍家康の警戒を避けるために, あえて天守閣は設けなかったといわれています。
残念ながら今では城は消失し,石垣と再建された隅櫓が往時をしのばせるのみです。
青葉城資料展示館」では,伊達家ゆかりの武具や調度品が展示され、さらに300インチの大画面シアターでコンピューターグラフィックスによる青葉城復元映像などが見られます。
周囲には仙台ゆかりの土井晩翠島崎藤村 の文学碑もあります。

仙台朝市

宮城県仙台市青葉区中央
100メートルほどの路地におよそ90店舗が軒を連ねる仙台朝市。
1950〜1951年頃(昭和25〜26年)に青空市場として発足して以来、徐々に発展を重ねてきました。
朝市という呼び名で親しまれているが夕方まで開いています。
狭い通りに魚屋さんや青果店、雑貨店など、いろんなお店が並んでいて昔ながらの懐かしい雰囲気です。
鮮魚をはじめ、野菜、果物、菓子類、肉類、総菜などが市価の2〜3割程度で購入可能です。
また朝市通り入口付近の駐車場脇では、路上販売をしている店もあり、昔ながらの市売りの会話で地元の人たちや観光客に親しまれています。

熊野洞

宮城県仙台市太白区秋保湯元字上原54-24
秋保温泉街から南に約500メートル程の所に、「秋保工芸の里」があります。
「秋保工芸の里」は伝統工芸産業の振興と後継者の育成の場として、昭和63年 4 月にオープンしました。
現在、 9 工房があり、異業種の工人達が軒を並べ伝統工芸の魂を秋保で継承していこうと創作活動に励んでいます。
その中の「熊野洞」は、仙台たんす、伝統こけし、江戸独楽などの木工製品を製作しています。
作製の過程を直接見学することもでき、伝統工芸品の趣を肌で感じることができます。
仙台箪笥」は欅の木目を生かした"仙台木地蝋塗"の地元特産品で、全国でも高い工芸評価を受けています。 元々、太刀や羽織を入れる箪笥でしたが、用途に合わせて様々な種類に発展し、 趣味のタンスとしても愛用されています。
正面の舞錺金具はもちろん、引き手、隅金具に至るまで、 そのひとつひとつが細かい工程を経た手打ちのもの。黒漆焼き付け塗装でしっかりと取り付けられています。
また、抽斗は日本産桐の白木づくりで、男性的な外観と対照的な柔らかいぬくもりが感じられます。

伝承千年の宿 佐勘

宮城県仙台市秋保町湯元
「伝承千年」の名が示す通り、いにしえの息吹が感じられる宿です。
遠く飛鳥時代から湧き続ける「名取の御湯」が佐勘の家宝。その伝統を頑なに守りながら、理想の快適性を追求した近代和風建築が、不思議な落ちつきを約束してくれる。
「佐勘」によると「文禄2年(1592)12月、佐藤勘三郎は火災に見舞われ、屋敷も湯宿も全焼し石倉を残すだけでした。当時、火元には再建のための御料木材を払い下げないという規則がありましたが、藩主の湯浴御殿であるということで特別に許可され再建されました。その際、佐藤勘三郎は再度の火災を恐れ、紀州高野山に祈願し「貧女の一灯」と崇められた聖火を火縄に託して、48日間道中苦労を重ねて、持ち帰りました。この火は新築された炉端に移され以来今日まで400年もの長い間、昼夜をわかたず燃え続けています。」 といういわれがあります。
1階にある男性用には2つの露天風呂があり、趣を変えた入浴が楽しめます。
上段にあるのが檜風の屋根をつけた桶風呂で、木の香漂うやさしい肌触り。
女性用は湯舟が大きめな岩風呂が一つあります。